「鍋」は時に発端になる。
今週のお題「鍋」
「寒い日には鍋だよね」
冬の季節になれば、毎日日本のどこかでこの手の話題がなされているだろう。日本の風物詩ともいえる行事の一つであり、自分も愛してやまない。
しかし、ふと立ち止まって「寒い日には鍋だよね」という言葉を見たら、三つの疑問がわいてきた。
1.いつから日本の風物詩となったのか。
2.どうして寒くなったら暖かいものを食べたくなるのか。
3.どうして人は生きているのか。
1.いつから日本の風物詩となったのか
鍋と聞いたら、調理道具だけを思い浮かべるのではなく、その中にたくさんの具材がぐつぐつと煮えたぎっている光景が脳裏に浮かんでくる。しゃぶしゃぶ、もつ鍋、きりたんぽ、おなべ、てっちりなどの伝統的な固有の名前が付いたものから、一般家庭や個人によって世間には知られずに生まれているものまで有象無象。それほどまでに親しまれてきた鍋文化を、毎年私も享受しているわけだが、いやはや原点を知らない。
「別においしければいいじゃん」
「うん、確かにそうやな」
普段の生活であれば、まあこんなもんの浅堀である。
それでもいいが、文章を書く場なわけだから立ち止まって鍋について思考を巡らしてみるわけである。そうなるとやっぱり原点を知りたくなるのが人間の性なのだろうか。
「鍋 歴史」で検索。
現代のいわゆる「鍋」はドラマやアニメなどでたまに見かける囲炉裏にぶら下げている鍋というよりも、座敷に持ち込まれた小鍋膳立てというものがルーツらしい。
引用:https://www.kibun.co.jp/knowledge/nabe/history/rekishi/
この解釈で合っているかわからないが、ひとまず、鍋の期限はこんなものでいいか。
問題は2と3からである。
2.どうして、寒くなったら鍋を食べたくなるのか。
わざわざ取り立てていうことでもない気もしている。それでも一応言っておくと、体の温度が下がったから本能的に体を温めたくなり、せっかくなら気持ちよく体温をあげたい。そうだ、鍋だ。という体の反応であるためだろう。これは人間の本能に根差した観点。
でも、それだけは決してない。
寒い日→冬
冬という言葉から連想する鍋を囲んでいる団らんの風景。想像することによる鍋への執着が、現代において寒い日に鍋を食べたくなる根本的な理由だと考える。
3.どうして人は生きているのか。
この問いは、すべての疑問の最下層に位置しているため、鍋であろうと顔を出す。鍋と人間の生き死に。さすがにかけ離れすぎた概念であるため、この問いへの答えは箸にも棒にも掛からなさそうだ。