一枚の木

アニメ、ゲーム、インテリア、住宅、などが好きな大学生のブログです。

「この歌詞が好きなんだよね」がよくわからない。

j-popや洋楽において、というかジャンル問わずあらゆる曲において歌詞ってそんなに重要なのだろうか。

 

 人それぞれ好みはあるとか言ってしまえばそれまでだし、すでに語りつくされてしまったことかもしれないが、ご了承ください。自分の言葉で言いたかったので。(ブログはそういうものだと思う)

確かに演歌や昔の曲は単調で同じようなメロディーばかりで歌詞こそ聞かせたい項目なのかもしれないので否定はしない。(実際よくわかりませんが、今度調べてみよう

 

しかし、今どきの人が「この歌詞素敵っ」って言っているのを聞くと、つい「嘘つけよ!」と思ってまう

 

私の中では歌詞はマイナスの要素になることは時折あるが、プラスに働くことはめったにない。

 

歌詞の役割はあくまで、メロディーの邪魔をせず、メロディーをリスナーに心地よく聞いてもらうための付属品だと思っとります

 

 

私が曲を聴く際にこれいいなと感じるのはメロディーやグルーヴ感、歌手の歌声、一つの楽器が一瞬いい感じに目立っているのが聞こえるとき、ハモリ、サビに入る前の盛り上がりなどあげればキリがないがこういった「音」である。これらを踏まえて「この曲いいんだよね」ということになるのである。

 

(「なんとかの感じ」とかなんだがあいまいな表現でしか音楽の良さを表せなくて本当に音楽について語る資格はあるのかと思ったがご了承ください。)

 

歌詞は歌手の歌声を聴くためのもの、メロディーを響かせるためのものとしかならない。

 

歌詞が邪魔と思ったらクラシックを聞き始める。

 

 

 

歌手(曲のアーティスト)側もどう考えても歌詞聞かせる気ないやんっていう歌い方の人が最近は特に多い気がするし歌詞をそれほど重要視していないのかも。

歌詞カードを見ればいいのかもしれないが、よっぽどのファンでない限り普通見ない。

 

書いていて気付いたが歌手(曲のアーティスト)は自分の曲を聞いてくれるコアな層に対してしか歌詞を聞いてほしいと思っていないのかもしれない。

 

 

歌詞は時にその曲の良さを引き下げることにもなる。

その一例をご紹介

 

www.youtube.com

出典元

https://www.youtube.com/watch?v=ShKacq9DUfQ

 

この曲は銀魂というアニメのオープニングなのだが、

――――――Stairway Generation 階段をあがれあがれ—――――――

 

この階段が何回聞いても

 

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こんな感じのありふれた階段が思い浮かんできて、一瞬現実に戻ってきてしまいせっかく盛り上がっているのに邪魔をされた感じになってしまう。

 

階段という概念を忘れさせるような階段の使い方をしてほしかった。

 

ちなみにこの曲は銀魂の中でも結構好きな曲でもう5、6年前の曲だが時々聞きたくなるくらいである。だからこそ少し残念なのである。

 

「けえぃだん」とか歌って何言っているかわからないくらいにするほうが聞いていて気持ちがいい。歌詞はとにかくメロディーの邪魔をしないようにするのがいい。

 

 

 

もちろん歌詞を全面否定するわけではないです。

メロディーを心地よく聞かせるという役割もあるわけですしね。

 

でも「この曲は歌詞がいいんだよね」と言われても( ´_ゝ`)フーンです。

 

 

 

 

ここまで歌詞は音楽にとってそれほど重要ではないということを頭ごなしに書いてきたが、これではいけない。相手側の立場にもたたねば。

 

 

歌詞は聞く側の好さを引き出す。

 

 

歌詞に惹(ひ)かれる人はおそらく他の人よりも想像力が豊かなのかもしれない。4分程度の曲の歌詞から物語を感じ、その情景を読み解くことができるのだろう。そして歌詞から語られることが自身の体験、経験と結び付き、共感の気持ちが芽生えることによって心地よい感覚になる。

 

結果として曲の良さというのを歌詞の中に見出す。

 

おそらく人生経験が豊富で感受性豊かな人にしかできない芸当だ。

 

 

カラオケの印税も編曲家よりも作詞家のほうがたくさんもらっているので、歌詞のほうが、専門家的には重要だとわかる。

 

 

 

 

歌詞推奨派をだいぶ持ち上げてしまったが、別に自分は濃い人生経験なんてそんなにしていないし、音楽に対し共感も求めていないので、一生歌詞に対しこれいいなと思うこともないだろう。

 

もし、この曲の歌詞は素敵だというものがあればぜひぜひ聞きたい。

 

言葉から人生を説くようなものは小説とか、ドラマとかアニメとかそういうので十分間に合っている。(それこそ、こういう「フィクションで人生とか語ってるんじゃね」論争もいたるところで繰り広げられているに違いない)