「桜」みたいにがんばるお話。※fateとは一切関係がありません
「桜」「サクラ」「さくら」どの文字の形態でも基本的に良いイメージばかりが浮かびますよね。実物の花もやっぱりきれいで見応えがあります。
誰でもしたことがあると思いますが、「桜」の文字遊びでの定番「ツキがある女性」。
遊び心で「桜」という文字と向き合ってもやっぱり良いイメージですね。
それでもやっぱりどんなものも「悪態をつかれる」というか「粗さがし」をされてしまいますよね。
平安時代あたりの年代の人の中にはとても想像力豊かで「桜」を儚くてすぐ散ることから「死」を連想する人もいたみたいですね。せっかくきれいなものなのにわざわざマイナスイメージを結びつけていくスタイルは「そんなフォルム、色合いしてたって認めてやんないよ」と素直じゃない感じで逆にかっこいい(orかわいい)かもしれないですね。
まだあります。というか「桜」から連想されるよくないイメージというとむしろこっちを思いつく人が多いですかね。
「桜の樹の下には死体が埋まっている」
明治時代の小説家、梶井基次郎の有名な小説の一文を想像する人もいると思います。
おそらく梶井基次郎さんもいわゆるかっこいい(orかわいい)人だったのかもしれないですね。
今回の記事で何が言いたかったというと、美しいとかきれいなものとかいわゆる「よいもの」にもなにかしらの「よくないもの」が備わっているのだということです。
私もよくないところを身につけ…じゃなくて「桜」みたいにまずは根本的によいものになるためにがんばろう!
※よいもの、よくないものとかがあいまいで申し訳ないです。